秦野市千村地区の泉蔵寺に秦野市指定重要文化財、石造十王像が安置されています。この石仏は昭和42年の文化財調査の際に東泉寺十王堂(明治期に廃寺)で発見され、泉蔵寺に移されました。この石仏群の中に地蔵菩薩があり後背右に如慶と刻銘されています(写真1)。

この石造十王像は中世期の石仏と判断されて平成15年2月12日に秦野市指定重要文化財になりました。ただ文化財指定の答申書には如慶について特段の考察をされていません。しかし如慶とは誰なのか、気になっていましたが思いもかけず如慶について触れている資料に出会えましたので紹介します。

資料名:秦野市史研究第27号、題名:再び、もうひとつの首塚、著者:二宮嘉延

著者は如慶なる人物が浄土真宗開祖親鸞のひ孫の可能性を指摘しています。まず、親鸞の子善鸞ついてふれ、厚木市飯山地区弘徳寺に草庵を結び弘安元年(1286)臨終、当寺に墓が今も伝わっています。また「慕帰絵詞」の中に相模国の「余綾山中(ゆるぎさんちゅう)」で覚如が善鸞、如信に面会したとされています。この余綾山中について著者、二宮嘉延氏は秦野市内から望める渋沢丘陵から中井町方面、そして平塚の高麗山あたりと推察されており、秦野市千村地区はこの余綾山中と見ることができると記しています。

親鸞の系図については「日野一流系図」に記述があり、図1に示すような親鸞聖人系譜になります。これによれば如信の子供の一人に如慶とあり、余綾山中で親鸞のひ孫如慶が仏教の教えを布教していた事も十分考えられます。
如慶なる人物が神奈川県西部地区で他に何か足跡があれば、さらに確信に繋がると思います。歴史ロマンに読者の皆様も参加していただけたら、大変ありがたいです。

図1 親鸞聖人系譜

①親鸞 (1173-1263)

②善鸞 (1217-1286)弘徳寺(厚木市飯山455)に墓石が現存する

③覚信尼(1224-1283)親鸞没後弟子達の布教のまとめ役となる

④如信 (1235-1300)本願寺第二世宗主、茨城県大子町に墓石がある

⑤覚如 (1270-1351)本願寺第三世宗主

⑥浄如 (1265-1340) 父如信が構えた、陸奥国大網の草庵を引継ぐ

⑦如慶 ( ? )

図1 親鸞聖人系譜