12年に1度の寅薬師めぐりの年がやってきました。相模21寺にて薬師如来の御開帳が行われます。

 秦野市内に於いては大根地区の東光寺(南矢名366)、本町地区の天徳寺(文京町6の22)、東地区の 広院(西田原98)の3ヶ寺です。

 古来より薬師如来は身近な存在の仏として村々には薬師堂が建立されて村人の病苦等の救済をお願いする場となっていました。薬師如来の正式な名称は薬師瑠璃光如来またの名を薬師医王如来と申します。東方浄瑠璃世界の教主であります。皆さま薬壺をお持ちになっています。日光菩薩と月光菩薩を脇侍とし、12神将を眷族とします。薬師如来は12の大願(すべての人が生きるためのすべての願い)を一切の人々にかなえせしめたいとの願いをお持ちの仏さまです。日光、月光菩薩は昼夜を分け隔てなく人々の身体や心の病をいやし、12神将は悪魔が人々を悩ますことがあればいつでも甲冑に身を固めこれを懲らしめます。現代の世相を顧みて疫病や災厄のない世界を薬師如来にご祈願してぜひ実現していただきたいものです。

 東光寺の薬師如来は古来より矢名薬師として近郊の多くの人々に親しまれ熱く信仰されてきました。武田信玄が小田原の北条氏を攻めに来た時に薬師如来を甲斐の領国に持ち帰ったところ疫病や飢饉が続き、その様子に恐れを覚え信玄公は仏様を元のところに戻し、安置するお堂の建立までしました。帰ってきた後片手がなくなっていたことから別名「片手薬師」ともいわれます。背面には1256年の墨書の銘が見えます。この度古いお堂を取り壊した後に新たな薬師堂が建立されました。令和4年3月26日に落慶入仏開眼法要が執り行われました。今後末永く多くの人々の安寧を見守り続けていただけると思います。

 医王山・薬師院・天徳寺の薬師如来はかって曾屋神社近くの乳牛薬師堂にあったとのことです。関東大震災でお堂が壊れ、現在天徳寺本堂の左間にお祀りされています。造立の年代は平安時代後期の作と確認され、本市にとっても貴重な仏像であるとの評価を受けています。なお、庭園には江戸中期に盛んであった札所巡りの坂東札所33観音石像も大切に管理されています。

 現在「曾屋五自治会会館」のある場所に以前曾屋薬師堂があり、薬師如来が祀られていました。そこには当時、 広院末寺の慈眼寺がありました。しかしある時から無住の寺となり近在の人々の手によってお堂はずっと守られてきました。その後同地に自治会館の建設が決まりお堂は取り壊されることになり、薬師如来は平成27年に西田原の 広院にお移りになりました。移転後初めての寅年となります。

 コロナ禍の中参拝される方は万全の備えをして寺院の指示に従って行動をしてください。


(タウンニュース令和4年4月8日号に掲載)